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愉快なの、今日までかもしんない…。
それから三月経ち、我々は銀座の仕立屋に服を取りに赴いた。相変わらず時子には妊娠の兆候は見られなかったが、私も時子も全く気にも留めていなかった。
「まぁ、奥様、ぴったりでございます」
試着室から出て来た時子を見るなり、仕立屋が言った。全く、彼の言う通りであった。
「誂えたものですもの、ぴったりに決まっているじゃありません?」
「いや、彼は寸法のことを言っているのではないのだと思うよ」
「え?」
「よく似合っている、ということなのさ。そうでしょう?」
仕立屋が深くうなずく。
「まぁ、嬉しい!ありがとう存じます。でも、当面着て行くところがないわね。残念だわ…」
「君、もうすぐ誕生日だったね」
「えぇ、そうでございますけれど」
「だったら、バースデーパーティーを開いてはどうかね?」
「ぱーてー?何ですの、それ?」
「誕生日を祝う会のことだよ。身内や友人を呼んで、わいわいやるのさ。その時にそれを着て、みんなに見せびらかしてやればいい」
「そんな、見せびらかす、だなんんて…」
「いや、それがいい。早速手配しよう」
私は時子を、己が妻を自慢する機会を得て、嬉々としていた。
「折角ですから、着て帰りますわ」
仕立屋を後にし、私たちは銀座の街を散策した。そして、服を誂えた記念にと写真館に寄り、レストランで夕食を摂り、夜遅くに帰宅した。
時子の誕生日パーティには彼女の両親、私の叔母、我々の友人たちを招待した。そして、その殆どが出席してくれた。
「いやぁ、なんともはや…。今出川から話には聞いていたが、全くその…お美しくあらせられて…」
玄関に入るなり私の友人、清水が挨拶もそこそこにそう言った。同時に来た他の友人たちも、皆一様に驚きの表情を浮かべている。
「嫌ですわ、そんな…」
「な、言った通りだろ?」
今出川が何故か得意げにそう言った。
「おい、その口ぶりじゃまるでお前の妻のようではないか」
「いや、すまんすまん。僕がいくら言っても、お前の女房など高が知れてると、そう言って聞かなかったものでね」
「君たち、それはどういう意味かね?」
「だけど、どういうわけでこんな男と?」
「お時、ダイアモンドに目がくらんだかぁ」
「あなた方、私が借金の形にお嫁に来たとお思いのようだけれど…違うくてよ」
「え?」
その言葉に皆驚いた様子であったが、最も驚いていたのは何を隠そう、この私だった。
「私は主人のことを好きになったから、お嫁に来たのでございます。時子を見くびらないでくださいまし!」
「これこれ、時子。殿方に向かって何たる口の聞き方です」
「お母様!」
次にやって来たのは時子の両親だった。私は先に来た友人たちを家へと上げた。
「渡邊様、御無沙汰しております。この度は時子のためにこのような会を開いていただいて、本当にありがとう存じます」
「いえいえ、そんな、滅相もない」
「時子、もしや先程の調子で旦那様とも接しているのではあるまいな」
「お父様、そんなことは…」
「全く、不躾な娘で申し訳ございません」
「とんでもない。時子はよくしてくれています。本当に私にはもったいないくらいの妻ですよ」
「ははは。全くその通りだな!」
応接室のソファから今出川が言った。
しばらくすると、賑やかな一団が現れた。
「おときちゃーん!しばらくぶりね!」
「まぁ、きみちゃん、としちゃん、みねちゃんも!」
「おときちゃん、本当によかったわね」
「えぇ」
「それ、新品でして?」
「えぇ。旦那様が誂えてくだすったのよ。素敵でしょ?」
「えぇ、よくお似合いよ」
「ありがとう!」
「まぁ、何です?近頃の女子(おなご)はきゃっきゃきゃっきゃとはしたない。私達の時分は人前で大声で話すなどもってのほかでしたのよ」
「叔母様!」
「渡邊の嫁として、ふさわしい振舞いをしていただかなくては。他の方々も、今のうちから女性としての品格を身につけなくては…」
「叔母様、今日はお祝いの席なのですから、お小言はそれくらいにして、早うお上がりください…」
「あー、尚!久方ぶりねぇ!変わりは無いかい?」
「ご自分だって、大声を出されていらっしゃってねぇ」
きみちゃんが友人たちにそういうと、彼女らは声を潜めて笑った。
「何かおっしゃって?」
「い、いえ…何も…」
「寿司に、天ぷらに、ビフテキに、それからケイクまで…豪勢な料理だな…」
食卓に並んだ料理にまじまじと顔を近づけ今出川がそう漏らした。
「あぁ。知り合いの料理人に作らせたんだよ。好きなだけ食べるが良い」
「自分の女房を自慢するのに、一体いくらかかったんだ?」
「よせよ、今出川」
「大方、服を新調してやって、その姿があまりにも素敵で、みんなに見せびらかしてやろうと、そういう魂胆なのだろう?」
この悪友は、人の心が読めるのだろうか?
「うちの尚は、それはもう大層優秀で…」
食卓から少し離れたところで時子の母、つまり自分の友人相手に叔母が話をしているのが聞こえてきた。
「おーい!また叔母上の『自慢話』が始まったぞ!」
今出川がそういうと、友人たちがゲラゲラ笑い出した。
「尚は何でも、人から教わる前から自分で得心するような子でしたのよ」
「叔母様、尚さんの子ども時代のお話、もっと聞かせてくださいまし」
この時、時子の口から初めて自分の名前が出てくるのを聞いて、得も言われぬ快感を覚えた。
「尚は皆から『神の子』と呼ばれていたのでございますの」
「そのうち、生まれた直後に直立して『天上天下唯我独尊』と述べた、とかなんとか言いだすんじゃないのか?」
今度は清水が茶化した。
「ははは、聖徳太子かってんだよ!」
「おい、今出川、それを言うならお釈迦様、だろ?」
「どっちも似たようなものじゃないか」
悪友たちは笑ったが、時子は叔母の話を真剣に聞き、時折大層驚いた表情を見せていた。
すると、時子は少し離れて友人たちといた私に向かって、
「どうしておっしゃってくださらなかったの?」
と言った。
「それは尚が、謙虚だからです」
叔母はそう言ったが、私にとってそのような話は自慢話でも何でもなかった。
「私には本当にもったいない方を紹介してくださって、本当にありがとう存じます。叔母様は私の恩人でしてよ」
「そうお思いになられるのなら、精々尚にお尽くしあそばされることね」
「はい!もちろんでございます」
その様子を見ていると、ふいに視線が気になった。そちらを見やると、きみちゃんが私を見て何やらニヤニヤしている。
しばらくすると彼女はこちらへやって来て、
「私、何も喋ってはおりませんから」
と言い、また友人たちの元へと戻って行った。
どうやら彼女は私が縁談よりも前に時子について彼女らに尋ねていたことを覚えていたようだ。そして、そのことを時子に言っていない、と言うということはつまり、縁談自体私が仕組んだものだということに気づいている、ということでもあった。
時子の友人が、気立てのよい子で助かった。
宴もたけなわの頃、私は廊下を歩く時子を呼び止めた。そして、誰もいない部屋へと誘い込むと彼女を強く抱きしめた。
遠くの方で、客人の歓談が聞こえる。
「あなた…」
「叔母や母上が何と言おうとも、時子は無邪気なおときちゃんのままでいておくれね?」
「えぇ。あなたがそれをお望みあそばされるなら、時子はそのようにいたしますわ」
「綺麗だよ、時子」
そう言うと私は時子に口づけた。
「あなた、いけませんわ。誰か来てしまわれるかも…」
「大丈夫だよ。もう少しこのままでいさせておくれね」
しばらくして、急に時子が私の胸を叩いた。
「いや…厠を探していたのだが、とんでもないお邪魔をしてしまったようだねぇ」
「今出川!」
私から離れると、時子は私と今出川の方に背を向けて俯いた。
「まぁ、我慢できない気持ちはわからないではないが、そういうことは頼むから皆引き上げてから行ってはくれまいか?それとも、君たちは…そういう趣味なのかい?」
「まぁ、そのようなこと…」
時子はそう言ったが、私は確かにこの背徳的な行為に少なからず快感を覚えていた。
「お前は本当におときちゃんに心底惚れているんだなぁ…今日だって、お揃いの服なんて着てさぁ」
「あら?まぁ、私ったら、自分の服にばかり気を取られて、あなたのお召し物がツイードだったなんて、全く気づかなかったわ…」
こちらへ振り返ってそう言うと、時子は大いに笑った。
「渡邊、こりゃ勝負あったようだな」
「いや、最初から僕の負けだよ」
応接室のソファで本を読む今出川と、紅茶を飲むきみちゃんを見ながら、時子は私に耳打ちした。
「きみちゃん、今出川さんのことが気になって、なかなか帰ろうとしないみたいなの」
「え?」
「どうやら今出川さんに心奪われたみたい」
「何だって?」
「ねぇ、あなたから上手いこと二人で帰れるように、促してあげてくださいませんこと?」
「今出川」
「何だい?」
「もう夜も更けたことだし、彼女を送って行って差し上げてはどうだい?」
「え?私?」
「あぁ。ご婦人が一人では何かと物騒でしょうから」
「あぁ、僕は構わんが」
「私も…」
「とか何とか言って、早く二人きりにさせて欲しいんだろ?」
「わかってるんなら、とっとと帰れよ!」
「すみませぬ、つい長居してしまって…」
「あぁ、君に言ってるんじゃないんだよ。すまないね」
「いえ」
結局今出川がきみちゃんを家まで送り届けることとなり、玄関口まで見送る段となった。
「それじゃ、お気をつけてね」
「えぇ、ごきげんよう」
「何だい?」
時子は今出川の耳元でこう囁いた。
「きみちゃん、君枝さん、とってもいい子よ。よろしくお願いしますね」
「あぁ、心得たよ」
~続く~
次回、事態は…急展開を迎えます。