オリジナル小説 「うそ」9

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 時子の身の回りの世話は主に母上がなさっていたが、私は事ある毎に時子の様子を見に部屋を訪れた。そんな時、大抵母上は部屋を出て行ってくれた。

 「ねぇあなた、今日が何の日かご存知?」
 軽井沢へ来て三日程経った頃、時子が訪ねた。
 「いやすまないね。とんと見当もつかぬが」
 「いやだわ。祝言を挙げた日じゃございませぬか」
 「そうか、こりゃ失敬。もう2年経つのか、早いものだなぁ」
 「えぇ。でも、ふふふ…」
 「どうした?」
 「だって私たちっていつもその日には自宅にいないのですもの」
 「言われてみれば、そうだね」
 そう、去年の今頃は近江での時間を満喫していたのだ。あの時はまさか一年後このようなことになるとは知る由もなかった。
 「折角綺麗なところに来ているのに、見て回れないのが残念だわ」
 「ようし、それじゃぁ僕が素敵な風景を絵に描いて君に見せてあげることにしよう」
 「まぁ、嬉しいわ。あなたって本当にお優しいのね。時子、あなたのことがとっても好き!」

 週末、執筆の仕事が一段落着いたので、私は早速絵筆を持って軽井沢散策をした。

 「これは一体、何ですの?」
 帰宅後、描いた絵を見せると時子は大いに笑った。笑うのは無理もない程の愚作であった。
 「これこれ、旦那様があなたのためを想って一生懸命描いてくださったものをそのように」
 そう言った母上だったが、絵を覗き込むと遠慮がちにではあるが、時子と一緒になって笑った。
 「いやはや、これはこれは…不徳の致すところ。絵は母上にお願いした方が良さそうだ」
 「いいえ、私この絵が大好きよ。これからも時子のために描いてはいただけませぬか?」
 「時子、そのようなわがままを言っては…」
 「いいえ、僕の方は全く問題ありませんよ」

 時子はそれからも私の下手な絵を楽しみにしてくれていた。そしてそれらを枕元に置いて横になっているときも眺めていた。
 至って気丈に振舞う時子ではあったが、その病状は思わしくなかった。徐々にではあるが症状は進行し、食も細り、体も少しずつやつれていった。

 「まぁ、お蜜柑?」
 「あぁ。これならば食べられるやも知れぬと思ってね。どうだい、食べられそうかい?」
 「えぇ」
 そう言うと時子はゆっくりと体を起こした。私は蜜柑の皮を剥いて、その口へ一房放り込んでやった。
 「まぁ、なんと甘いことでしょう。あなたもお召し上がりになって」
 一口噛むと、果汁が口いっぱいに広がって、まるで全身に行き渡るが如き感覚を覚えた。
 「私、蜜柑が大好き!」
 「そうだったのかい?それは知らなかったな」
 「ほら、覚えてらして?琵琶湖へ行く汽車の中で」
 「あぁ、覚えているとも。蜜柑のご婦人、だろ?」
 「えぇ。私あの方には本当に感謝しているのでございます。あの方とお会いしてなければ未だに…」
 時子の言いたいことは良くわかる。あのご婦人は図らずも我々が“夫婦”となるきっかけを作ってくださったのだから。
 「いや、それは違う」
 「え?」
 「僕も我慢の限界、だったからねぇ」
 「まぁ、あなたったら…」
 嘘偽りなく本当に時子を楽しませてやろうと遠出を提案したのだ。そこには邪な気持ちなど微塵もなかった。だが、無意識的に、環境が変わればともすれば、と企んでいなかったかと言えば、強く否定することなどできようはずもない。

 軽井沢に来て二月程経ったある日、母上が急用で東京へと戻られたときのことである。
 いつも時子は夜一人で寝ていたのだが、この日は久しぶりに共に眠ることにした。

 「毎晩一人だから、とても寂しくてよ」
 「すまないね。母上から止められていてね。今日だって母上には内緒だよ」
 「えぇ。わかっていますわ。ねぇ、あなた…」
 「ん?何だい?」
 「最後のわがまま、聞いてくださらない?」
 「え?」
 「お願いでございます旦那様。私を、時子を今一度、抱いて下さいまし」
 「でも、そんなことをしては君の体が…」
 「私はもうどうなってもいいの。もちろん、病気を治すつもりではいるのよ。でも…でも、もし治らないのだとしたら、このままずるずる生き長らえるより、もう一度、あなたに愛でられて、ぱっと散る方がよっぽどよくてよ。もうすっかりやつれてしまったけれど、まだ辛うじて“おときもち”と言っていただけるうちに、あなたに召し上がっていただきたいのでございます」
 「時子…」
 「でも、やはり駄目ね。そんなことをしてはいよいよあなたにもうつりかねないもの。時子、我慢しますわ」
 「病気がうつるのが怖くて、君と寝所を共にすると思うてか?」
 「あなた…」
 「ずっと黙っておこうと思っておったのだが、この際白状する」
 「何ですの?」
 「僕は君にずっと嘘をついていた」
 「嘘、でございますか?」
 「実を言うと、僕は君のことを縁談の前から知っていたのだよ。いや、あの縁談話を仕組んだのは…この僕なのだ」
 「え?それは、誠にございますか?」
 「あぁ。君は覚えていないかもしれぬが、あのベンチに座る僕の元に女学生だった君の帽子が飛んできて、二言三言君と言葉を交わしたことがあってね。その時僕は君に、おときちゃんに心底惚れた。心奪われたのだよ。それで、君の家があんなことになったことを利用して、僕は君を己が物にしてしまった、というわけさ。君は僕を軽蔑するかい?」
 「いいえ、とんでもない!時子は…とっても嬉しゅうございます」
 「本当かい?」
 「えぇ。だって、あなたのような聡明な方が時子のために見境をなくしてくださったのでしょう?これほど素敵なことはございませんわ。まぁ、そうでしたの…」
 「だから、僕は病気などちっとも怖くはないのだよ」
 そう言うと、私は時子を抱きしめた。強く強く抱きしめた。その体はやはり、以前に比べだいぶ痩せ細っていた。
 「時子の体をめちゃくちゃにして」
 
 
 「あなたは以前より私を…」
 寝巻を整えながら、時子がそうつぶやいた。そして、続けた。
 「私てっきりお情けで好きになってくださったものとばかり思っていましたのよ」
 「いや、それは違う。全く違うよ」
 「これでもう、思い残すことはないわ…」
 「何を言うんだ。病気を治して独逸に行くんだろう?」
 「えぇ、そうでしたわね。あぁ、そう言えば、ちょっとだけだけれど独逸語も覚え始めましたのよ」
 「そうかい。どんな言葉だい?」
 「イッヒ、リーブ、ディッヒ」
 「"Ich liebe dich." ははは。"Ich auch." だが、そのような言葉覚えたとて、独逸人には使うまい。そうだろ?」
 「あら、それもそうね。でも、どうしてもあなたに言いたくって」
 「ありがとう。じゃあ、独逸に着いたら開口一番僕にそう叫んでおくれね。彼らにもわかるように大声で」
 「素敵ね。是非にともそう致しますわ。あなたもね」
 「あぁ」

 
~続く~