ぼくようび~正名僕蔵さんファンブログ~

永遠の憧れ・正名僕蔵さまに不必要な愛を捧ぐ

オリジナル小説「或る男の場合」14


 「椿さん、遅いねぇ」

 「仕方ないでしょ?お仕事大変なんだから」

 チャイムが鳴る。

 「あ!椿さんだ!」

 「私出るわね」

 椅子から立ち上がりかけた千鶴を信二が制する。

 「僕が出るよ。ママは座ってて。ようけごちそう拵えて、疲れたでしょう?」

 「ありがとう」

 しばらくして、玄関から野太い悲鳴の後、振り絞った嗄れ声で

 「逃げろ…」

 と微かに聞こえてきた。
 状況が飲み込めぬまま、千鶴が中腰になったところで、血のついた包丁を握り締めた椿がこちらへやって来た。

 「キャー」

 母の元へ逃げようとした真奈香の腕を寸でのところで引っ張ると、その胸を一突きした。
 刃を抜くと、どすっと音を立てて、まるで人形のように真奈香の体は突っ伏した。

 「椿さん、ど、どうして…」

 「私だって、嫌いだった。止めて欲しいって何度もお願いしたのに。元のあなたに戻ってって、何度も励ましたのに。それでも堕落していく一方だった。それなのに…それなのに、何ですぐに止めるのよ!私は…私はただ、戻って来てくれって、その言葉をずっと待ってたのに。どうして連れ戻しに来てくれなかったのよ!」

 「あ、あなた、もしかして…」

 「私は今でも好きなのに、なんで、なんであんたなのよ!」

 「陣野さん言ってました。あなたの最後のわがまま聞いてやる、って。別居状態のまま離婚したくないんだったら、あなたの好きなようにさせてやりたいんだって。陣野さんもあなたのこと、愛していたんですよ」

 「黙れー!」

 積年の恨みを切っ先に込めて、椿は千鶴の腹を突き刺した。それを引き抜くと千鶴は色を失った我が子を抱きしめた。そして、消えゆく意識の中で最期に残された力を振り絞って、彼女は陣野からの“愛の証”を握り締めた。
 これだけは、絶対に誰にも奪われたくなかった。汚されたくなかった。

 陣野に思いを馳せる間もなく、千鶴は絶命した。


 あまりにもあっけなく目的が達成されてしまった椿は、未だにやり場を無くした激情を千鶴の背中にぶつけた。
 ほぼ自動的に、機械的にナイフを刺しては抜き、刺しては抜きを延々と繰り返した。

 その顔には表情がまるでなかった。
 椿の中の感情は全て刃先に溜められて、表情を作るだけのものが残っていないかのようだった。


 椿が我に返った時、千鶴の背中には無傷の部分は残されていなかった。
 急に恐ろしくなり、包丁が手から滑り落ちた。

 英邸を飛び出すと部屋に戻って荷物をまとめた。
 すぐに出て行くと疑われかねないので、しばらくは平静を装って暮らしていた。

 ただ、どうしても生花だけは続けられなかった。あんなに苦労して続けていた生花をこんな理由で諦めんるなんて…。
 椿は再び千鶴を憎悪した。死して尚、千鶴は椿を苦しめた。


 容疑者逮捕の知らせを受け、彼女はすぐに東京へと帰った。警察からではなく自身が行った忌々しい行為そのものから逃れるためだった。
 彼女は待っていた。ただ陣野の帰りを。自分の元へ戻って来てくれることを。
 だが、彼が椿の元へとやって来たのは事件発生から3年後、坂本の死刑が執行されたすぐ後だった。

 「やっと帰って来てくれたのね」

 そう言うと、椿は陣野に抱きついた。
 陣野はそれを振りほどき続ける。

 「お前…なんだな?」

 「何の話?」

 「大阪の、英っていう小児科の家族が殺された事件、奥さんと知り合いだったんだろ?」

 「えぇ。家族ぐるみのお付き合いをしていたわ。それが?」

 「お前、その奥さんの顔、千鶴の顔知ってたハズだぞ」

 「は?」

 「俺のデスクの写真、見てただろ?」

 「写真?そう言えばそんなのあったかな?でも、いちいち覚えてないわよ。それが、何?」

 「坂本は犯人じゃない」

 「そんなハズ、ないわ。こないだ死刑が執行されたんでしょ?」

 「あぁ。だが、アイツは執行直前に『ほんとは違うのになぁ』と言い残してる。アイツが自供したのは、俺に地獄を見せるためだ。俺にとっては真実の方が、地獄だったとも知らずになぁ」

 「話が見えないんだけど?」

 「お前なんだろ?千鶴やったの」

 「帰って来てくれたんじゃ、ないの?」

 「お前が俺のこと恨む気持ちはわかる。だったら、俺を殺せばいいだろう?」

 「だったら、ここで一緒に死んでよ!」

 そう言うと、椿は台所からナイフを取り出し陣野へ向けた。

 「ずっと死にたかった。殺したって、八つ裂きにしたって、あの女への憎しみは消えはしない…。だけど、あなたが帰って来てくれるのを、ただ、待ってたの…」

 ナイフを持つ椿の顔をじっと見据え、陣野は恐れることなくゆっくりと、しっかりと歩み寄った。
 椿の手からナイフがこぼれる。陣野は彼女を抱きしめた。

 「すまない。全部俺のせいだ。お前をこんなふうにしちまったのも、千鶴たちを死なせたのも…悪いのはみんな俺だ」

 「あなた…」

 「だから、生きるんだ。生きて罪を償うんだ。俺も自分の罪を償っていく。だから、生きるんだ!」

 「一緒にいてくれるの?」

 「いや、それだと償いにならない。それぞれがそれぞれに償うんだ。いいか?」

 「嫌よ…愛してくれとは言わないわ。でも…」

 「馬鹿だな…。俺はずっとお前のことを愛してたんだぞ…」

 「あなた…。ごめんなさい、ごめんなさい…」

 椿は陣野の胸の中で泣き崩れた。

~続く~

次回、感動(?)のラストです!