オリジナル小説 「おじさん」 前編

以前、

「僕蔵さんみたいな親戚のおじさんが欲しい!」

というような話の流れになって、そこから着想を得て短いお話を書き上げました。

だいぶ前に仕上げていたのですが、何かの時に取っておこうと思っておりまして。

今回、諸事情により手の込んだ記事が書けませんので、その“つなぎ”と言ってはなんですが、載せてみた次第です。

前後篇です。

ちょっぴり不思議で、ハートウォーミングなお話です。

では、どうぞ♪

※作中で方言が使われていますが、作者のイメージに依るところが大きく正確さに欠けるかもしれません。ご了承くださいませm(_ _)m


 私は本家へ向かう新幹線の中でおじさんとの久々の対面を楽しみにしていた。
 私は東京生まれだが父の実家は岡山県にある旧家で、毎年お正月に親戚一同が集うのだった。
 私も中学生まではそうしていた。だが、高校へ上がると部活が忙しくなり、それ以降約十年間本家からは足が遠のいていた。
 
 おじさんはとても優しかった。実のところ自分にとっての続柄などよくわからなかったが、彼の風貌から物心つくかつかないかのころより自然と“おじさん”と呼んでいた。
 おじさんはとても物静かで、他の大人たちと話をしているところを私は殆ど見たことがなかった。
 おじさんは決まって、長い食卓の端の方に座って、ただ黙々とお節料理を突いていた。数の子が好きらしく、よくポリポリとやっていた。

 大人数が集まって最初は楽しいのだが、お節やいとことたちとの遊びに飽きて来た頃、私は決まっておじさんにちょっかいをかけに行った。
 私が行くとおじさんはいつも優しく微笑んで、一緒に遊んだり話し相手になってくれた。
 小さい頃は、よくおうまさんごっこをしてくれた。少し大きくなると羽根つきや凧揚げをやった。ある時、居間で一人居眠りしているおじさんの顔に、羽根つきで使う墨でいたずら書きをしたこともあった。けれどもおじさんは一切怒らず、

 「参ったなぁ」

 と頭をボリボリやって、顔を洗うばかりだった。
 
 中学生になると、一緒に炬燵に入って学校や友だちのことを話したり、近所にスケッチに行くのに連れて行ってもらったりもした。
 スケッチ中はとても寒かったけれど、最初何も書かれていないまっさらな紙にあっという間に美しいデッサンが生み出されて行くところを見るのは、とても素敵で楽しかった。
 あまりに絵が上手なので、そういう仕事をしているのかと問いかけると、

 「うん、まぁ…」

 とだけ言って、おじさんはただただはにかむだけだった。
 中3の冬、最後に会った時おじさんは私の似顔絵をプレゼントしてくれた。
 
 そんなおじさんが私は大好きだった。たぶん、初恋の人だったのかもしれない。親戚のおじさんに初恋だなんておかしいけれど、そう言ったことがよくわからなかった幼い頃、おそらく私はそのような感情を彼に対して抱いていたのだと思う。

 もちろん、今は恋愛感情など微塵も無いが、それでもおじさんは私にとって特別な存在であることに変わりは無かった。
 
 「ただいま!」

 私が本家の玄関を開けると、従弟の数馬とゆかり、菜々子が出迎えてくれた。

 「久しぶりじゃのー。元気にしちょったか?」

 数馬の父は御手洗家の長男で、一家は本家に住んでいた。であるから、彼の言葉は岡山弁がきつかった。
 それが私を一気に郷愁へと誘った。

 「数馬、ゆかり、菜々子、久しぶり!」
 「彩香、おばあちゃまカンカンよー。『十年も寄り付きもせんとー!』って」
 「そうそう、先謝っとった方がええでー」
 ゆかりと菜々子が立て続けに言った。二人はどちらも大阪生まれなので、大阪弁だった。
 「マジで?どうしよう…。あ、そう言えば、おじさんもう来てる?」
 「おじさんって?ワシらのオトンのことか?」
 「ううん。そうじゃなくって、ほら、いたでしょう?おでこが広くて黒縁のメガネかけた。物静かでいつもにこにこ笑ってて、絵が上手な…」
 「菜々子、そんなおっちゃんおった?」
 「いや、覚えてへんけど…数馬は?」
 「ワシも知らんで」
 「そんなはずないわよ。ほら、よく遊んでもらってたじゃない」

 とは言ったものの、よくよく考えるとおじさんと一緒にいた時、決まって私は一人だった。

 「そういえばお前、小せぇ頃よぉ『おじさんがどぉのこぉの』ゆうとったのぉ。ワシぁてっきり誰かのオトンのこと言うとる思とったけど、ちゃうかったんか…」
 「何や、騒がしい。あぁ、彩香!いっこも顔見せんと、今まで何をしとったんじゃ!」
 「ばあちゃん、彩香がの、おりもせんおっさんがぁ、言いだして…」
 「おじさんはいるよ!だって、これ…」

 そう言うと私はカバンの中からおじさんからもらったデッサンを取り出した。すると、その絵を見るや否や祖母の表情はたちまち変わっていった。

 「こ、このタッチは…。彩香、早う上がられ」

 祖母は私たちを仏間に通した。しばらくそこで待っていると、一枚の古い写真を私に見せた。

 「あんたが言う『おじさん』ちゅうのは、この人と違うか?」

 その色あせた集合写真に写っていたのは紛れもない『おじさん』その人であった。

 「そう、この人がおじさん」
 「ちゅうても、こんな古い時代の人、彩香が知ってるはずなかろーが」
 「この方はあんたらの曽祖父幸吉さんの弟の清治(きよはる)さまじゃ」
 「ひいじいさんの弟、ちゅううことはばあちゃんの叔父さん、ちゅうことか?」
 「そうじゃ」
 「の割には、ひいじいさんと全然似とらんなぁ」

 確かに、おじさんは写真の隣に写る曽祖父とは似ても似つかなかった。

 「清治おじさんは養子なんじゃ。もともとおじい様と清治おじさんは友人じゃった。じゃが、清治おじさんが十の頃、長谷川の、あぁ清治おじさんの元々の家が火事におうて清治おじさん以外は全部焼け死んだそうじゃ。じゃけ、御手洗家が養子にもろたんじゃ」
 「似てる言うたら、このひいおじいちゃんの隣の女の人、彩香にめっちゃ似てへん?」
 「ほんまや!」
 「それはあんたらの曽祖母、つまりうちのお母ちゃんの春子じゃ。昔から似とる思とったが、確かに彩香、若い頃のお母ちゃんに瓜二つじゃ…」
 「彩香は死んだ人間とずっと遊んどったんかぁ…。きょうてぇ」

 数馬はそう言ったが、私としてはその事実を知った後も少しも怖いとは思わなかった。
 
 私と祖母は従弟たちを家に残し近くの墓地へと向かった。

 「清治おじさんは近くの高校で美術の教師をしとった。元々は東京の生まれでのぉ。長谷川の、清治おじさんの本当のお父様は国鉄の駅長さんとして、ここに赴任してきたんじゃ。じゃが、ほれ、あんなことになってしもうて…。じゃから、言葉遣いが綺麗でのぉ」
言われてみれば、おじさんは殆ど標準語だった。
「休みん日には、よぉ岡山中をスケッチして周っとったんよ。うちも時々連れてってもろうて…。ぼっけぇ優しゅう人じゃった…」
 「うん、そうだね」
 「ほれ、ここに清治とあるじゃろ?」

 墓に着くと祖母は側面の名前を指した。

 「享年四十五って…病気か何か?」
 「いや…事故じゃ。ワシが七つん時の正月、清治おじさんがデッサンに夢中になっとる間にワシが道路で遊び始めて、そこに車が来て…清治おじさんはワシを助けようと…」

 そう言うと祖母は墓石の前で膝を突いて泣き出した。気丈な祖母が泣いているのを見るのは、これが初めてだった。

 「おばあちゃん…」

 しばらく背中をさすってあげると、祖母は落ち着きを取り戻した。

 「清治おじさんは何か言っとらんかったか?」
 「ううん、何も。ただ優しく笑ってただけだよ」
 「そうか、そうか…」

 祖母は墓石に向かって手を合わせ、何度も何度も頭を下げた。

 私は本家に帰った後、数馬達に『おじさんの話題はくれぐれもしないように』と釘を刺した。祖母にこれ以上、辛いことを思い出させたくなかった。

 「こんなおもろい話、黙っとくンはもったいねぇのぉ」

 正月休みが明けてすぐ、スペイン出張のスケジュールが入っていた。世界中の若手デザイナーが集まるイベントに参加することになっていた。
 実は私がデザインの道に進んだのも、絵の上手なおじさんに影響を受けてのことだった。

 出張当日の朝、成田へ向かうためタクシーを拾った。車窓をなんとはなしに眺めていると、しばらく経ったところである人物が目に止まった。

 歩道を歩くその人物は紛れもなく『おじさん』だった。

 私はそこでタクシーを降り、矢も盾もたまらずおじさんの後を追った。
 おじさんは後ろから来る私をときどき振り返りながら、ずんずんと歩いて行く。おじさんはゆっくり歩いているにも関わらず、走れども走れども全く追いつかなかった。
 そして、とうとう見失ってしまった。

 ふっと我に返り時計を確認すると、搭乗するはずだった便の出発時間を少し過ぎた頃だった。

 「飛行機に間に合わなかっただと!」

 電話の向こうで上司がつんざくような怒鳴り声を上げた。

 「申し訳ございません」
 「一体何をやってたんだ!」
 「それは、その…。次の便を手配してすぐ出発しますので」
 「お前はもういい!他の者に行かせる!日ごろの努力を評価して、力不足を承知でお前に決めたのに、折角のチャンスを無駄にしやがって…。チケット代はお前が弁償しろよ!」
 「そんなぁ…」
 「当たり前だろ!とりあえず、出社して来い!」

 「おじさんのバカ…」

 重い足取りで社に向かう道すがら、私は一人そうつぶやいた。

~続く~