好きの哲学

好きな人が載っている雑誌を買った。

と言っても分量にしてはほんのわずかだ。

すぐに用は足り、雑誌を閉じる。

とは言うものの、それではあまりにも勿体なくまた雑誌に対しても礼を欠くと思い、再び手に取りパラパラとやる。

そんなことを何度か繰り返していると、しばらくして昔好きだった人が寄せたエッセイが目に止まった。

読む。

面白く、懐かしい。

昔、夢中になって読んだ文体がそこにはあった。

だか、かつて程の高揚感は得られない。

あの時の気持ちは確かだった筈なのに。

その時、私は本気だった。

いつも私は本気なのだ。

時間が経つと薄れていくということなのか?

いや、問題は時間では無い。

新しい好きと出逢うかどうか、だ。

今の好きも、いつか色褪せてしまうのだろうか?

その時を思うと、とてつもない切なさが胸を襲う。

いや、薄れていく筈はない。
こんなにも好きなのだから。

だか、かつての好きも、その時はあんなにも好きだったのだ。

だから、有り得ないとも限らない。

新しい好きと巡り逢えない寂しさと、今の好きが終わってしまう悲しさとを秤にかけて、今日も私は一日を終える。

どうか、この恋が終わりませんように

と祈りを捧げながら…。