この物語を一言で言い表すと
”死者と生者それぞれの救済の物語”
となるかな、と思いました。
私は観劇前に戯曲を読んでいて、ト書きに
「沈丁花の香りが木頭と加茂の存在認識に作用する」
ということが書かれていたので彼らが死者である
ということが早い段階ですぐにわかってしまっていたのですが、怪談フリークの自分としては恐らく状況も状況ですし前情報なしの状態でも彼らが死者であるということはすぐに気づいたのじゃないかなと思います。
沈丁花というのも名前に沈が入ってて、意味深ですよね。
彼らが死者であると認識すると加茂先生の「帰りたい…」というセリフの重みが変わって来ますよね。
冒頭の二人の会話がぎこちなくて、そこが
「幽霊に成り立てで話し方がよくわからない感じ」
に思われてとても良かったです。
こういうところは脚本読んでてもわかりませんからね。
劇場でのアハ体験と引き換えに、脳内である程度構築していた世界との差異を楽しむことができて非常に楽しかったです。
そして、この物語のキーワード「あるかないかわからないもの」について作品内での指針というか、定義づけの役割を大きく担っているのが久留米だと言えると思います。
とは言え、それは観客側に考えるきっかけやヒントをくれるというだけで、
「あるかないかわからないものとはこういうものだ」
とまではハッキリ名言しているわけではないのですよね。
というか「あるかないかわからないもの」ですから。
掴みどころはないし、人によって捉え方も違って当然です。
実際、木頭、加茂、久留米、それぞれ「あるかないかわからないもの」に対する認識は少しずつズレています。
木頭はウイルスや水中の魚など物理的に存在しているものの目視できないもの全体、久留米は心や死といったそれ単体で独立して存在しえない概念上の存在、加茂は愛や神といった概念的かつより抽象的な存在
であるとそれぞれ捉えていると言えるでしょう。
そしてさらに久留米はこの「あるかないかわからないもの」に物理的に存在するものが蝕まれている、とも名言するのです。
ここでの哲学的な会話がラストの核心部に響いてくる。
久留米は捉えどころがなくて飄々としている癖に何故か横柄で、勝手に会話に参加してきたのにも関わらず、何者か答えず質問にも応じず、ただ「ざっくり医者だ」と人を食ったような答えしかしない。
この時点では久留米自身が確かにいるけれども何者かわからない存在という意味で木頭的「あるかないかわからないもの」に近い存在、と言えるのが非常に面白い。
ここで久留米はブリーフケースからおもむろにアンパンを取り出して食べ始めるのですが、あれは物語上どういう意味があるのかとても気になる。
何しろ、ト書きには何も書かれていなかったので。
まぁ、私得シーンだと思っておきましょうwww
アンパンの齧り跡と目が合って、凝視してしまいました(汗)
ずっと見ちゃった
食べたi...何でもないでーす(汗汗)
因みに食べかけのアンパンは僕蔵が後で美味しく召し上がりました、のだろうか。
気になる…。
ほsh…何でもないでーす(2回目)
話がそれてしまいましたm(_ _)m
話それついでに、このシーン去り際に久留米が「また会おう!」
ってどこかへ行くんですけど、そのセリフがあまりにも力強くて
「えぇ、またいずれぜひ~♪」
と心のなかで返しちまったじゃねーかよ(笑)
真面目な話に戻りますと、実は脚本読んでる時、この時点で私は久留米のことを”死神”なんじゃないかなと思っておりまして…
ハハハ、完璧に外しましたけども。
だって「西から来た」とか言うんだもん。
西国?って思っちゃうよねー。
思っちゃわないか。
怪談フリークが裏目に出てしまいました。
だってネクタイも黒いんだもん。
ざっくり医者ってのも、人の生死を握ってるってところで医者も死神も同じでしょ?
みたいなテンションなのかなって
「全然一緒じゃありませんよ!死神は人を助けることはしないでしょ?」
「そうかな?私が興味を無くしたら、その人は死なずにすむ。すなわち助かるわけだから。一緒だよ」
「何ですかその理屈💧」
っていう会話を妄想してしまってました(笑)
それに死神っぽいじゃん、僕蔵氏w
連れてってーヾ(o´∀`o)ノワァーィ♪
m(_ _)m失礼致しましたm(_ _)m
衣装の話になったから言うけど、全体的に暗めの舞台装置で木頭と加茂もグレーのスクラブなところに真っ白な白衣を身にまとった久留米はすっごく映えてて、
かっこよ〜〜〜✨
って、軽く感動したね。
自ら発光してんじゃないかってくらいにオーラを放ってた。
そしてそのオーラに完全にやられた💧
僕蔵さんって首長いし色も白いし顔立ちも端正だからすっごーーーく神々しいほどに美しいの。
銀縁メガネだと顔立ちわかりやすいしね。
意外と鼻も高くて、素敵なんだよ^^
意外とは余計か(笑)
まぁ死神じゃなくて、カノ島の刑務所のお医者さんで、コノ島に土木作業員として派遣した途中で脱獄を謀った囚人を探しに来てた人なんだけど。
因みに存命中の木頭と加茂が出会った時点はどの囚人を派遣しようか偵察に来てたみたい。
散々「ササキサキです」って訂正してた癖にまさかの「佐々木崎」じゃなかった件www
ここ一番の笑いどころですよね。
しかも本名も「アワカキ」っていう、もう一つややこしい名前で。
相島さんのセリフ8割
「佐々木崎です」
なんじゃない?
しかも、虫歯があまりにも痛くてうまく喋れなかった一回を除いて、すべての間違いを訂正してたのおもろすぎ。
「佐々木崎です!」っていうラインスタンプ欲しい。
佐々木崎さんにしか需要ないけど。
ってか、佐々木崎さんって実在するのだろうか。
まぁ、正名よりもありそうな名前やけども(笑)
後半でまさかの新しい事実の発覚と、久留米、粟垣両名にしかわからない人物についての話が頭上で繰り広げられるのがわからなすぎて最早爽快!
他4名と観客との「誰の何の話やねん」という共通の感想から生まれる一体感www
粟垣さん、名前間違われやすい者同士、佐々木崎さんと気が合ったのでしょうか?
名前をちゃんと訂正することで、佐々木崎さんの死を悼んでいたのかもしれませんね。
久留米さん、わざとかどうかわからないけどずっと「クリガキ」って言い間違えてて、最後の最後に「アワカキ」っていうんですけど、その言い方が怒りマックスというか「うんざり」といった感じですっごくクールでした。
僕蔵さんって怒ってる芝居のときすごくリアルだからほんとに怒ってる?ってちょっと怖いんだよね。
久留米って、受刑者の尊厳とか全く無視してる感じ。
高圧的な役めっちゃハマるから、さすが当て書きって思っちゃった。
神経質なモラハラ夫役とか見てみたかったりもして。
木頭くんを詰めるシーンとかも食い気味な間が絶妙で「うおぉぉぉ!」ってなってました。
「ツッコミ担当か君は?」
「じゃぁ何担当なんだ?」
これぞ、僕蔵!
さっすがー!
ヒューヒュー!
黙ってましたがw
話に戻りましょう💧
この物語、主役は木頭ということなんですが、私的には根田先生なんじゃないかなと。
というか死者の主役と生者の主役とでも言いましょうか。
「う蝕」という未曾有の大災害に見舞われ、島外から応援にやってきた歯科医の木頭と加茂が2度目のう蝕により眼の前で沈んでいってしまった。
「どう思ったらいい?」
脱獄仲間があっけなく死んでいってしまった粟垣に対する、この投げかけは非常に重い。
後に「どうしたらいい?」とも言うんですけど、それよりももっと奥、行為というコントロールできるもののより深い部分であり、自分では制御できない思考の段階で苦悩していることが伝わってくるようで。
「あれだけ名前にこだわる人が一人一人に何も思わない訳がない」
ここでやっぱり得心がいくのです。
佐々木崎さんの名前を大切にすることが落ちぶれた詐欺師にできる精一杯の哀悼の意なのだろうと。
この作品、笑いどころが多くて、座りが悪い、核心に触れそうになると余計な笑いが出てきて集中できない、という辛口レヴューも見受けられましたが、それはそれで一つの意見なのでしょうが、私は首肯しかねるかな、と。
そうじゃない。
本当に悲惨な状況に直面すると、人は笑いに逃げるものなのです。
あ、今笑うどころじゃなかったのに、と。
そしてまた、自分を責めてしまう。
根田先生もどこかお調子者というか、パッと見は気丈に見えて、実は深く傷ついていた。
そこを粟垣も「あんたもうまくやってるように見えるけど」と指摘していますが。
うまくやればやるほど、ごまかせばごまかすほど心は蝕まれていく。
根田先生の状態を久留米は「心に蝕まれている」と称しますが
「いや、心が蝕まれている」
と自ら訂正する根田。
この辺り、「あるかないかわからないもの」の方に重きを置く根田と物理的に確かにあると認識できるものの方を重要視する久留米との差異がよく現れているような気がします。
わざわざ権威付けのために不必要な白衣を来て医者然としている久留米らしいなと。
そして「あるかないかわからないもの」を重要視するあまりに悩み苦しんでいるようにも思えてきます。
根田さんの懊悩について聞いている久留米の表情もすごくよくて。
横柄な久留米なりに寄り添ってる感じがとても良かった。
「どう思ったらいいかわからない」
これは私達の気持ちを根田先生が代弁してくれているのではないでしょうか?
お正月から地震が起こって。
でもやっぱり被災地域以外に住む人たちは、それぞれに楽しく年始を過ごして。
それって、許されることなのか?
こんなことしてていいのだろうか?
現時点でも断水が続いている地域があるというのに。
いや、それよりももっと前から、ロシアとウクライナの戦争、さらには発展途上国の貧困問題、地球温暖化、格差社会…こういった問題を抱えながらも、なんだかんだ面白おかしく楽しく過ごしてしまっている自分、これで本当にいいのだろうか?
無力であるとわかっていても、せめて心は寄り添いたい。
でも、苦しんでいる人がいるのに私は笑ってしまっている
誰もがみんなこういった思いを抱えているのではないでしょうか?
特に日本人は共感性が高くまた自然災害も多いから。
そんな根田に対して「祈ればいい」と粟垣。
そう、祈りは祈る人のためのものなんですよね。
そして、謝罪もまた謝る側の心を救う行為でもある。
自分の代わりに派遣され、命を落としてしまった木頭を悼む剣持。
この、剣持という人物も人間味あふれる良きキャラクターですよね。
自分が金持ちのボンボンで何不自由ない生活をしていることに引け目を感じている。
それで慈善活動を積極的にやったり、災害時に派遣される歯科医師として登録もしている。
でも、臆病もので土壇場で怖気付いて友達に代わってもらうあたり、いかにも世間知らずのお坊ちゃまといった様相。
彼は木頭に謝罪することで救済を得ます。
木頭は自らの死を受け入れることで現世から解き放たれる。
でも、木頭が成仏できるようになったのは、木頭だけの問題じゃない気がして。
生者である根田や剣持の後悔の念が木頭たちが成仏する妨げになっていたように思うのです。
そういう怪談はたまにあるので。
それが証拠に生者が救われた後、加茂さんの方も靴が見つかって、ぬかるみから抜け出すことができたわけですしね。
きっと彼の遺体もじきに見つかったことでしょう。
久留米は粟垣を指して「ここにいるべきではない人間が混ざっている」と言い放ちますが、むしろここにいる人間全員がここにいるべきではない、とも言えるのです。
全島避難ということは置いといても。
根田は元々地元の人間ではない、木頭と加茂は死者、剣持も後の祭りでやってきて、久留米も部外者、粟垣はそのものズバリ。
この場所にふさわしい人が一人もいない、というおかしみ。
ぬかるみに足を取られずっと「帰りたい」と言っていた加茂さんを見ながら「地縛霊って好き好んでその場にとどまっているんじゃなくてもしかして本当は帰りたいのかな?」って思うとなんとも切なかったです。
私は知ってたから、なんか冒頭からずっと辛い表情になっちゃってた。
先程、「悲惨な状況下で笑いに逃げる」と言いましたが、でも振り返るとこの話で起こる笑いって、ほとんどが笑わせてやろうという意図のない当事者にとっては真剣なことなんですよね。
名前だって本人にとっては大事なものだし。
剣持が自身の場違いな高級スーツについて「ただの布です」って言い放つのも、友人を自分の身代わりで死なせてしまった身としての「何だこんなもの。こんなものが何の役に立つんだよ」といった無力感らくる発言なのでしょう。
発話者と聞き手の感覚のズレから生じる笑いとでも言いましょうか。
このシニカルな笑いが場の雰囲気、どこか安心できない緊張感を生んでいるように思えるわけで、だから目先の笑いを取るなんていう姑息なことじゃなくて、とっても大事な要素なんじゃないのか?
唯一木頭くんは積極的に面白おかしく振る舞ってて、その場違いな空回り感が死を受け入れ難い幽霊であるがゆえの態度なのかなと。
まぁ、生前もお調子者な感じだったから、元々の性格プラス受け入れがたい現実からの逃げでもあるのかも。
根田先生もまた、木頭くんほどおどけてはいないものの、努めて明るく振る舞おうとしている感じ。
それ以外の人は、自分の理に縛られて傍からはおかしく見えるだけのこと。
いかにも不条理劇と言った感じ。
知らんけどw
(←出た!関西人あるあるw)
どーも、ツッコミ担当でーす´ω`)ノ
冗談はさて置き、この感じ僕蔵さんがインタビューで仰ってた通りになってて、さすがだなと思います👏
登場人物もみんな魅力的だったし、俳優さんお一人おひとりとても素敵な方たちばかりでした。
相島さんは、小柄なイメージがあったものの意外とスラッと背が高くいらして、びっくり。演技はもう、さすがとしか言いようがない。ごくごく自然なんだけど、巧妙で。その程が絶妙でした。
綱くんは、出てくるとパッと舞台上が明るくなる華の持ち主。恐らく観客の気分の高揚が全体に伝わっているのもあると思う。セルフプロデュース力が高いというか、自分の魅せ方を心得ている感じ。
新納さんは、こちらも華やかな雰囲気を持たれているからか映像ではキザっぽい役が多い印象でしたが、明るくもうちに悲哀を秘めている人物を丁寧に演じられていました。
近藤さんは、Xでも書きましたが派手さはないものの淡々と演じていくうちに演技が光ってくるというか、裏打ちのしっかりとしたお芝居をされる方だなぁと感じました。
個人的に後半、眼の前に座られてて、僕蔵さん見ると必然的に目があっちゃって、すごく気まずくなっちゃって、その節はどうもすみませんでしたm(_ _)m
坂東くんは、ほんとに魅力的な俳優さんで。
可愛げがあって、でも芯がしっかりとしていて。明るさといい意味での不気味さを兼ね備えており、ひょうきんな役からクールな人物、サイコパスや異常性格者などオールマイティーに活躍できる逸材だと感じます。
「真犯人フラグ」の頃からいい役者さんだなーってずっと思っていたので、これからが楽しみです。
カテコの時、最後の最後、「どうもありがとうございましたぁ〜」
って、笑顔で手を振ってくれたんですけど、めっちゃこっち向いてくれてて、多分私じゃなくて方向だけこちら側向いてただけなんですけど、すーーーーごく可愛かった。
のと同時にバンちゃんファンのみなさん、なんかごめんなさいw
いい意味で人たらしだ、あの子は。
僕蔵さんと仲良しなのも頷ける。
さて、僕蔵さんねぇ…。
まぁ、言うまでもなくものすごく魅力的でしたわよ、今回も。
もう、すでに文章から漏れ出てるとは思うけど。
個人的に現代劇は初めてで。そのせいかセリフがストレートというかド直球に感じました。
シェイクスピアとか難解だからねぇ。
この作品も決して簡単ではないけど、扱ってるテーマは深いながら会話はわかりやすかったから。
久留米って登場シーンはそんなに多くないけど、先に述べた通りラストシーンへ通ずる非常に重要な役割を担うキーパーソンなわけよ。
それをほんとに見事に演じきってたよね。
確実にあるものを重要視する人が確実にいる人に振り回されているというのも実に皮肉っぽくて良かった。
戯曲読んだ時との差異を楽しむ
って冒頭に述べましたが、それでいうと一番それがあったのが僕蔵さんだったのね。
「あー、そこはそんな間で来るのか」
とか
「なるほどここの台詞回しはこんなふうになるの?」
なんて、脳内再生していたときと全然雰囲気が違ってて、とても楽しかったです。
表情の作り方も、相変わらず七変化だし。
脳内ではアンパン食べてなかったしねー。
もじもじしながらも、見るべきところはちゃんと見てたんだからね!
何しろ、僕蔵さん見続けて久しいですからね。
とは言え、まだ十年経ってないんだよなー。
なんかもっとずっと前から見てる感。
この作品、見るたび、読み返す度に新しい発見があって、伏線なんてそんな技巧的なものじゃなくってもっと深い部分での気づき、そういったものが得られる秀作だと思います。
俳優さんたちも積極的に作品づくりに参加されたということで、僕蔵さんのアイデアって具体的にどういうところなのだろうかと興味津々。
とりあえずアンパンの件はそうなんだろうとは思うけどw
まさか生でもぐぞー見れるとは思わなかったから頭の中で「歓喜の歌」流れてたわ!
「お勢、断行」では毒ジュース飲んでるシーンあって
「そのコップの持ち方好き!」
って、心の中で小躍りしてましたけどもw
何でも叶えてくれるじゃん、僕蔵氏!
あざまーす(ฅ´∀`ฅ)ニャハ
そろそろまとめに入ろうと思ってたのに…
あ、何言おうとしたか思い出した!
だから、作品づくりから参加した数少ないというか初めての舞台であって、思い入れも強い作品らしいので、私もこの「う蝕」という作品を大切に扱いたいし、定期的に見直してさらに色々と掘り下げて熟考していけたらなと思っています。
ほんと、戯曲を抱きしめたいほどに愛おしい作品に出会えたことに感謝感謝♪
こんなに書いたのにまだ書き足りない気がするw
皆さん、お疲れ様でした。
読むの大変でしたよね💦